2010年07月30日

タシサイサイ

東京というより全国的に雨が降って、火照ったアスファルトもややクールダウンという所でしょうか。
そして、この感じを「ジメっ」としていると取るか、「シットリ」と受け止めるかで、心持ちも随分と変わってくるのでしょう。

僕個人はと言えば、昨年zero-stageを生み出し、今年さらに発展させた「慈音」という形態でスタートを致しました。

プロデューサーとしても、クリエイターとしても、俳優としても人間としても男としてもまだまだ未熟で不勉強では有るけれど、そんな僕に協力してくれた慈音の社長、スタッフ、中井監督、全力で協力してくれた仲間達に深く感謝です。

もちろん、劇場に足を運んで下さった皆さまの「お陰様」である事は言うまでも有りません。

最高のスタートが切れたと思っています。

最近こんな話を聞きました。
コケることが恥ずかしいのではなく、コケて立ちあがれないことが恥ずかしい。

人生の転倒は何度でもありますが。
その転倒も天道と心得。

次に行く。

誤解無いよう申し上げますと、慈音公演まったくコケてはいません!
ただもちろん多くの反省はありますので、反省を行い、次に向けて行くという。

慈音で僕がやろうとしている事は、中々言葉では表わしづらい。
何と言ったら良いのだろう。

先日の舞台「ら抜きの殺意」にこんなセリフがある。

言葉ってのはそう思う人が増えちゃったらそういう意味になっちゃうんだ

この台詞の解釈は、今の論点では有りません。
この場では、やや肯定的に受け止めます。

つまり慈音というクリエイティブブランドを、新しいけれども歴史を紡いでいくものというような事にしていきたいなと。

誤解を恐れず敢えて抽象的で有る表現です。

さらに言えば。

全然素晴らしい。

という言い方が正しいかという時に、違和感を覚えるも50年後には誰も違和感を覚えなくなっているのではないかという事。


・・・・?


ですから。

「全然」は「全然出来ない」とか「全然ダメだ」とか全然の下には打ち消しで有ったり言葉そのものが否定的であると抵抗感がないワケ。

しかしだ。

全然きれいだ

全然素晴らしい

となると、何と言うか抵抗感を感じる。

よね?

でも最近「全然いいよ」「全然大丈夫」とか。

若手の俳優さんとか、ファンに握手求められて「ああ、全然、全然」
と。
もはや良いのか悪いのかさえ判別できないくらいになっている事もしばしば目にする。

そりゃ、空気読めば「全然」のあとに「いいですよ、喜んで」という隠語が含まれていることくらいわかる。
しかし、やはり全然の後に肯定なので。。

全然違和感を感じる。

だけど。

「とても」は明治の頃には「とてもできない」という使い方しかなかったようです。下に否定的な意味を持つやつです。
最近でも「とても無理ですよぉー」と腰の低い謙虚な人には、垣間見られる表現。
そして、それは大正、昭和になってから初めて日本に「とてもきれいだよ」なんて台詞を言う伊達男が出現したから、かどうかは知らないが下に肯定的な意味を持つ「とても」が出現したそうです。

今となっては。

全然違和感を感じない。

とても奇異とは思えない。

という事で。

全然がとてもの様に進化していくので有れば、それは全然良いことだ。

つまり文化というのは、紡ぎながらも新しく進化して行くという。

芸能と芸術の間。

クリエイションとビジネスの間。

冷静と情熱の間。

・・・・ん?

埋められないものでもないし、そもそも別物でもないし、中途半端でもないし。

常にニュートラルでいることで、慈音のモノツクリを進めて行きたい。

ま。

そゆこと。

君は。

とても全然美しすぎる。

ありがとうございます
横田真吾


posted by shingo at 13:26| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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