2010年12月09日

好事不如無 コウジモナキニシカズ

昨日12月8日はジョンレノンの命日でしたね。

そんな昨日は、世田谷パブリックシアターに『春琴』を観に行きました。

サイモンマクバーニー演出です。

光と影、陰陽、純粋と闇。
狂おしく美しい舞台でした。

まだやっているので、是非とも皆さん観て欲しいです。詳しい内容は控えますが。

shunkin.jpg

チケットとれないかな。

深津絵里さん主演です。なんて凄い役者なんだと改めて。あの魅力。

しかし、いつも海外の戯曲を読んだり、演出作品を観たりして思うのですが『時間』に対しての体感というか、感覚が少し違うのだろうな。

長さとかではなくて、リズムというか。

文化も宗教も言葉も違うのでDNAに組み込まれた感覚が違うのは当然なんだけど。

良し悪しの話しではなく、例えば日本人が外国の演劇とか戯曲に取り組む時に、なぜこのタイミングで紅茶を飲むのか、また日本人はなぜここでお茶を飲むのかという小さな、しかしなんだか絶対的な相違があるワケで。

人は、誰しも、、たぶんだけど。自分が良いと思った事を信じようとする。

でも、それは反面良いと思わなかった方に対しその価値観を押し付けようとしてしまう事もあるんじゃないかな。

それを、わからない人や物事に対しては「残念」だという感じになることもある。
表現芸術が陥りやすい所だったりもする。

春琴がそうだったのではなく、むしろ逆というか。
つまり、外国で生まれ育ったサイモンマクバーニーという演出家が谷崎文学を咀嚼して舞台上で役者の活きた肉体を使って表現して行くという作業の中で、teaとお茶の違いはどうなのかと。。

生きるとか愛とか、この世界できっと共通で普遍性に富んだものであったとしても、昨日のあの空間を作りだしたあの舞台を、彼の一つの完成形だとして。

彼はどういう心になっているのだろう。

だから。

コウジモナキニシカズ。

己という枠を超えた大きな心という意味らしい。そんな所にいる偉大な演出家なんだろうな。

そんな事を考えた刺激ある舞台でした。

ま、俺みたいなただの役者が、演出家の心を知ろうなんておこがましい。

ありがとうございます
横田真吾
posted by shingo at 10:38| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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